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チームスタイルメンバー

コントラスター 相馬 勉

エッヂの効いた感性と
博識な理論が融合したワンダージーニアス
TSUTOMU SOMA 相馬 勉

繊細で精密なカット
・骨格を捉えた精密なジオメトリックなカット
・5.0インチのシザーで毛一本までこだわって切る、繊細で丁寧なカット
・スキ鋏をいっさい使わない、生えグセに合うカット

ハイトーンカラー
・鮮明な原色カラーから淡いペールカラーまで、色鮮やかなヘアカラー

毛髪科学・皮膚科学・香粧品化学
・パーマ剤、カラー剤の知識と毛髪科学理論に基づいた薬剤の選定
・皮膚科学の知識からお客様の肌トラブル、お悩みのアドバイス

PROFILE
プロフィール

幼少時代から美容との出会い

新潟県村上市吉浦の海で育つ(0歳から18歳)。3人兄弟の末っ子。幼いころは幼馴染の3人でいつも浜辺を走っている元気な少年だった。友人と一緒に剣道を習い、2人の兄の影響で小学校低学年からプラモデルにハマった。勉強よりも体育や、図工の時間が好きだった。

小学生のころ、実家の建て替えで大工さんの仕事を見て、「職人の仕事」を知り、使う道具の美しさにもひかれ、技術職に関心を持ち始めた。 父親が料理人であったため、もともと「モノづくり」の仕事に興味を持っていたが、アニメ美味しんぼの影響もあり料理への関心が加速していった。 中学、高校時代は当時放映していた料理の鉄人を見てますます料理にのめりこんでいく。テスト前には自分で夜食を作り、鍋を振り、包丁で切る楽しさを覚え、料理の世界を志すようになった。部屋は調理の雑誌や漫画で、埋め尽くされていった。 高校2年生の進路を決める時期には、自分の中では「和食」の道に行くか「パティシエ」になるかの選択しかなかった。苦手の数学の時間には、友人とケーキのデザイン画を隠れて書くほどだった(笑)

しかし、翌年美容との出会いがあり転機が訪れる。 高校2年から3年になる春休みに、先輩からの誘いで新潟の美容学校のヘアーショーに誘われて見に行くことに。そこに現れた、モデルの髪型のすごさと、ステージ上でのパフォーマンスに感激した。美容学生たちのきらきらした姿に、こんな世界があるのだと知ることになり、人生の選択肢に「美容師」が増えた。 夏休み中に、新潟と東京の「調理学校」「美容学校」を見学し、かたわらに美容師のコンテストやヘアーショーも見に行ったりするうちに美容師への思いが強くなり、秋には美容師一択で東京の美容学校を受験した。

山野美容芸術短期大学時代

美容学校に入学してすぐに、先輩に5月に行われる新入生歓迎ヘアーショーのモデルをしないかと声をかけられ参加することに。このことがきっかけになり、美容師のサロンワーク以外の側面、魅せる仕事の内側を知ることになる。 その後、ヘアーショーの楽しさを知り、先輩たちの主催するCOLORSというヘアーショーチームに参加し、モデル、技術者、イベント企画、モデルハント、印刷物デザイン等を経験した。運営スタッフ側の仕事の大変さややりがいにも触れ、美容の仕事の奥深さを学んでいった。この時代にお世話になった先輩方とは今でも交流があり、リスペクトしている。

学内のヘアーショーにも積極的に参加し、1年時の終わりには卒業する先輩方に向けた、サプライズの「謝恩会ヘアーショー」を企画。学内では異例のヘアーショーだったので、0から企画を立ち上げ、先輩達への感謝の気持ちと自分たちの成長した姿を形にしようとした。 この時の経験とメンバーが後のTEAM STYLE.の中心となる。 この時に、0から1を生み出す楽しさを知り、イベント成功に向け高まるチームの結束力に充実感を感じヘアーショーにハマっていった。 チームをまとめることや、モデルさんへの配慮、関わる大人への対応、普段の授業では学べない経験をした。 2年時の春の「新入生歓迎ヘアーショー」では、金澤と二人で、モデル指導というスタッフの役を任された。過去最大の規模となった『100体』のモデルのヘアーショーを開催し、100名のモデルたちに歩き方と構成などを指導した。 その経験は、今も美容室での後輩指導に活かされている。

このころから、服飾学生など他のジャンルの人達とクラブやイベントホールを借りてのヘアーショーを開催。1つ終わればまた次の準備と、学内外で活動していた。同時進行の時もあり、忙しくも充実した学校生活を送った。

そんな中、就活時期になり自分の目指す美容師像が少しずつ明確になっていく。 「クリエイティブな仕事がしたい」「職人といわれるほどの高い技術力を身に着けたい」 ヘアーショーの時に感じたやりがいや、お互いを高め合う環境で、キラキラ仕事をしていける大人になりたい。と思うようになる。 目標は髪に悩んだらこの人に頼れと言われるような「誰に聞いても同じ名前が返ってくる美容師」になる事だった。

「やはり美容師はカットが大切」という思いから、ヴィダルサスーンカットを学べる美容室を探して回った。当時は、インターネットがそれほど普及していなかったので、本や足で探した。秋ごろに「ここだ!」と思える美容室「L`arte」をみつける。しかし、すでに内定者が決まっており、この年に入社はかなわず、卒業後は、他に内定をもらっていたTAYA美容室クレージュ店に勤務することになる。 しかし、あきらめることができず、その後も「L`arte」に足しげく通い続けた。そのかいあり、秋ごろに来年の募集に空きが出たとの連絡をもらい、再度就職試験を受け無事合格し、念願の「L`arte」に入社することになった。1年のロスはあったが、あきらめずに信念を貫いたことがことが、今後の美容師人生に大きな影響を与えた。

新人時代

エレガンスアンドチャーミングに入社。「L`arte」店に配属

厳しい先輩と、個性の強い同期、同じ年の秀才にもまれ、カットの技術はもちろん、接客や薬剤知識、撮影技術など多くの学びと経験をしていく。

朝9時半から朝練をし、夜は終電まで過酷な日々であった。 ミスをして怒られた日の夜は、「明日起きたら絶対に行かない!」と思っていても、なぜか朝起きると行ってしまう(笑) 体調を崩したこともあったが、毎日通い続けた。 尊敬する師匠の下で、高いスキルを学べる日々は楽しいことも多く何かと乗り越えられた。 もちろん楽しい事ばかりではなく、厳しくつらい日々も多々あり、疑問に感じたこともあったが、この時感じたことはのちに、自分がお店を持つときは「自分が嫌だったと感じたことは、周りにはしない」「周りのためになることはどんどんやろう」という理念構築に役立ったと思う。 2年目3年目と学んでいく中で、カラー剤やパーマ剤を管理する在庫係の仕事をまかされ、 薬剤の面白さと知識の大切さを知り、美容の仕事の楽しさと深さを知る。

この時期は特にstyle.の仲間の存在が大きかった。 新人時代のお互いの悩みや状況を、集まるたびに話した。自分よりも休みがない、大変な思いをしている仲間もいることを知ると、励みになった。 サロンワークでどんなに忙しく、疲れていても、終電で仲間と集合し次のイベント企画をしている時間が、仕事へのモチベーションも上げてくれた。 このつながりがなければ、とっくに地元に帰り、美容師すら辞めていたかもしれない。

スタイリスト時代

長いアシスタント期間で学んだ繊細な技術と丁寧な接客で、スタイリストとしての楽しい日々を送る。自分磨きのために、フォトコンやカットコンテストに出場するようになる。 賞を取る事も大切ではあるが、美容業界の中で自分の実力がどのあたりにあるのかを知りたい気持ちがあった。 このころから、後輩が増え店内で教育係を任されるようになる。教える事への面白さと、自分の教え方ひとつで、後輩の美容師人生が決まる事の大切さを知り、指導にやりがいを感じるようになった。 その後、都内美容学校を回り求人活動を行い始めた。特にその時、人事係は社内になかったが、功績を認めら教育・採用担当を任されることになった。

スタイリストデビュー後もカットトレーニングに終わりはなく、ヴィダルサスーンカット技術の上級編「コンテンポラリーカット」を学んでいく。 その中で、美容雑誌や外部の撮影やメーカーさんのシーズンスタイルの撮影に関わるようになる。 同時期に、師匠が文化服装学院の講師を務めることになり、何度かアシスタントとして授業に参加させてもらい、美容師をしながら教育者になれることを知る。

ヘアショー『Tokyo Hair Rave*06』@WOMB 参加、ナンバースリー2008シーズンコレクション制作参加、ナンバースリー2011シーズンコレクション制作参加、ガレリア座ヘアメイク・ウィッグ制作等


2004

TAYA 新宿クレージュ店入社

2005

L'arte 入社

2006

ヘアショー Tokyo Hair Rave*06 参加

2008

ナンバースリー
2008シーズンコレクション 制作参加

2010

スタイリストデビュー

人事担当に抜擢

2011

ナンバースリー
2011シーズンコレクション制作参加

2012

コンテンポラリーカットを学び
より深くカットを理解していく

2013

30歳になり独立するか悩み始める

2014

3月L'arte退社
同時に独立のためのマーケティングを兼ね
高田馬場の美容室BENCHに就職

4月山野美容芸術短期大学の講師の依頼を受ける
美容師をしながら先生を兼任する

2015

国家試験合格率100%を達成

2016

出店のため準備を始める

6月BENCH退社
9月style.プレオープン

2017

4月グランドオープン