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チームスタイルメンバー

ハーモニスト 金澤 多恵子

困った時のみんなの味方
頼れるTEAM STYLE.最後の砦
TAEKO KANAZAWA 金澤 多恵子

お客様のなりたいを叶えるスタイル提案
・ライフワークに合わせたスタイル
・持ちの良いスタイル
・クセを活かした扱いやすいスタイル
・乾かすだけで形になるスタイル
・年齢の悩みに合わせたスタイル

ツヤのある3Dカラー
・ホイルワークでのカラーテクニック
・根本が伸びても気にならないカラー
・スタイルに立体感を演出するカラー

幅い広いアップスタイル
・カジュアルアレンジからしっかり和装アップスタイルまで、
丁寧で持ちの良いアップスタイル

PROFILE
プロフィール

幼少時代から美容との出会い

栃木県 那須の大自然で育つ(0歳から18歳)。4人姉妹の長女。 幼少期忙しい母に代わり妹たちの髪を結っていた。妹たちが喜ぶ姿がとてもうれしかった。 自身の髪質がくせ毛で、扱いにくかったためいつもショートカットで、小学校5年生まで男の子と間違われていた。くせ毛を友達に笑われたりしていたので、自身の髪は大嫌いだった。 小、中学校では、勉強より運動が大好きな、活発でボーイッシュなスポーツ女子で、美容とは無縁の時期を過ごしていた。(バスケット、バレーボール、陸上競技、水泳、など)

高校時代に大きな転機が訪れる、強豪校の陸上部に所属していたが、「タナ障害」という膝の病気になり手術をすることになった。幼少期からスポーツばかりしていたので、走れない日々は本当につらかった。 手術後、リハビリに長期にわたり通ったが、最終的にはマネージャーに転向することを決意して、選手からサポート役になった。この経験で、表舞台で自身が活躍するのではなく、裏方の仕事の楽しさを知ることになった。 自分のしたことで、誰かが喜んでくれることにやりがいと充実感を覚え、人に喜んでもらえる仕事がしたいと思い始める。 この高校時代に悩みをいつも聞いてくれたのが、当時通っていた美容室の美容師さんで、誰にも言えない気持ちの葛藤をいつも聞いてくれて、さらに、子供のころから悩んでいた私のくせ毛もキレイにしてくれた。美容室に通うのが大好きになり、一気に美容に目覚める。毎朝クラスの友人の髪をまいたり、アレンジしたり、修学旅行でも朝早くから、みんなの髪をセットしていた。美容室が、ただ髪を切る場所ではなく、お客様の見た目と中身を変えてくれる場所だと感じた。 今もこの時の美容師さんを、目標にしている。 『美容室という空間と美容師の仕事』に魅力を感じ、美容師になりたいと決めた。 「修行するなら、絶対東京へ行きなさい!」とアドバイスをもらい、大学へ進学すると思っていた、父の反対を押し切り東京の美容学校を受験した。

山野美容芸術短期大学時代

今思い返しても、人生で一番楽しかった二年間。 毎日の授業も好きな科目ばかり、ヘアー、メイク、ブライダル、色彩、絵画、着付け、デザイン等々。好きな事と楽しい事と興味のある事に、毎日囲まれていた。初めての一人暮らしも、とても楽しかった。初めての電車通学、学校帰りには友人とカフェへ、東京にこれたことに感謝しつつ心から学生時代を満喫した。 尊敬できる先生、先輩との出会い、美容に情熱を持って取り組む後姿を見て、2年間過ごした。学校では「いつも笑顔を忘れずに」を、学んだ。

学校内外で、たくさんのヘアーショーに参加。 一生の仲間たちと出会う。 学校外では、先輩たちのヘアーショーチーム「COLORS」に参加し、初めてモデルハントをした。美容業界自体がとても盛り上がっていた時期で、当時原宿や渋谷などでは、たくさんの美容師さんが町中に立ちモデルハントをしていた。そんなプロの真似事を、学生時代から積極的に行っていた。(就職後、この経験が生かさる)

学校内では、ヘアーショースタッフ、作品を作る技術者、作品になるモデルの三役を経験。その時は気づいていなかったが、スタッフでは美容室運営力を、技術者ではスタイリスト側の役割を、モデルではお客様の気持ちを学び、就職後にとても役に立ったと思う。 美容に対して熱のある学生たちが多かったため、学校行事を大きく変えることもできた。当時校内ヘアーショーは「新歓」と「学祭」の2回だけだったが、学生たちの強い希望により、お世話になった先輩達へのサプライズで、卒業を祝うヘアーショーをすることになった。自己満足な作品ではなく、見てくれる先輩たちのことを考え一生懸命に準備し、開催した。この学生たちの動きに、学校側も心を動かされ、「謝恩会ヘアーショー」はこの後伝統になった。 このときのメンバーの多くが【スタイル】メンバーとなる。

最大規模のヘアーショーになったのが2年時の新歓で、この時も「今までにないことをやってみよう」ということで、100名のモデルを集め、スタッフ技術者を含めると200名を超える大所帯でのイベントを開催することとなり、技術者としてはラストに登場する作品を担当させてもらった。スタッフとしては、1年時のモデルの経験を生かし、モデル指導という役に付き100名のウォーキングを毎回チェックするという大役をこなした。たくさんの友人ができ、さらに毎日が充実した。

就活期には、ヘアーショーでお世話になった先輩に声をかけてもらい、美容室M.TANIGUCHIに興味を持つ。 客員教授でもあった谷口氏のヘアーショーを見て、その後サロン見学へ。

新人時代

M.TANIGUCHIに入社。CERTO店に配属。 クリエイティブな先輩たちと出会う。 技術伝承に優れた、老舗美容室。社長の谷口氏は男性美容師の先駆けで、黄綬褒章を授与されと入り、妻の谷口愛子先生は日本を代表する有名女流美容家。美容業界の発展に力を尽くしてきた美容家夫妻の経営するサロンで、美容の技術と経営を13年間かけて学ぶ。サロン外の撮影やヘアーショーも精力的に取り組む会社で、多くの経験を積んだ。 配属先の、CERTO店はアーティスト集団で、やる気に満ちた先輩方から、日々熱い指導を受ける。朝は8時から夜は終電まで、練習した。厳しい合格基準が定められており、1項目につき3段階の試験をクリアーしなければいけなかった。カット以外のアシスタント業の試験は順調に進み、成長をしていったが、最終のカットでつまずく。 4年目になり、カット不合格が続いたため美容師をあきらめようとした。 地元に帰り、初めて両親に相談をする。反対していたはずの、父からの励ましと、母からのエールにより、もう一度挑戦することを決めた。

丸4年を費やし、無事スタイリスト試験に合格することができた。

スタイリスト時代

新人時代から、4年間で学んだ基礎技術によりスタイリストデビュー後に困ることはほとんどなく、憧れのスタイリストになれた喜びで、充実した新人スタイリスト時代を過ごすことができた。厳しい練習でくじけそうになったことも、今、目の前のお客様に喜んでいただけていることで、大切な時間だったことに気づいた。 スタイリストデビュー後、1年でトップスタイリストとなる。たくさんのお客様を毎日担当できることが、本当に楽しかった。

師である谷口愛子先生に付いてサロン外部での仕事が増えていく。外部講師として美容専門学校への出張や、ヘアーショー、雑誌の撮影、セミナー講師、ブライダル出張などで、主にメイクの仕事を担当し経験を積んだ。サロン外の仕事には、美容師としてのクリエイティブな部分を磨くチャンスがたくさんあり、新人時代から先生の仕事姿を見てきたことが大きな財産となっている。特にヘアーショーのバックヤードの仕事は格別で、興奮と感動は忘れられない。L`OREAL 50thAnniversary Celebration・ASIA BEAUTY EXPO等。

副店長主任後は、教育面に力を入れる。 技術伝承に力を入れている美容室だったため、アシスタント教育のカリキュラムが充実していた。メイク講師とカット講師とヘアセットの講師を担当。基礎技術の大切さと、スタッフ教育の難しさを学んだ。 多くのスタッフに囲まれ、たくさんのお客様を担当させていただいた。老舗美容室だからこそ、長年お店を愛してくださっているお客様がたくさんおり、多くのアドバイスとエールを頂き2017年春にM.TANIGUCHIを卒業した。


2004

M.TANIGUCHI入社
CERTO店配属

社内コンテンスト
新人部門優勝

2005

カット以外のアシスタント業務に合格

2006

店舗合併により最大20人で仕事し
その中でチームワークを学ぶ
初雑誌撮影参加

2007

カットベーシックになかなか合格できず
美容師を辞めようとした

2008

スタイリスト試験に合格

2009

トップスタイリストとなり
月平均100名のお客様を担当
社内外でのメイクの仕事が増えていく

2010

本部カット講師に就任
カットについて深く学ぶ

2011

海外研修に参加し、世界の美容に触れる
全国から集まった美容師さんから刺激を受けた

2012

ボランティア活動に参加
出会いの中から多くを学ぶ

2013

副店長に就任し責任のある仕事が増えていく
社内外でアップスタイル講師を経験

2014

クリエイティブチームの一員となって
撮影会を勢力的に始める

2015

社内外のコンテンストに出場
デザインの勉強に力を入れる

10年働いた店舗が移転が決定し
新店舗へ引っ越す

2016

退社までの1年間をめまぐるしい日々で過ごす
月200名以上のお客様を担当させて頂いた

2017

13年修業したM.TANIGUCHIを卒業
style.グランドオープン